はっきり云って Rust は難しいです。
Rust は GC を持たず、 所有権という概念の上に構成されています。 そのため所有権のある値そのものを扱うより、借用 (参照) した値を扱うほうが難しくなりがちです。
なぜ借用のほうが扱いが難しいかと云うと、
所有権を持っていれば 自由に変更したり, 不要になったら破棄したり, 他の変数に所有権を移動したり できる一方で、借用は (人様のものを借りている状態なので) 可能な操作に制限がかかるからです。
もう一歩踏みこんで関数から借用を返そうと思うとさらに難しくなります。
借用を返す関数を書くためにはライフタイムを意識せざるを得ません。 関数スコープの中であればライフタイムを適切に推論してくれることが多いですが、スコープを超えて関数の外に借用を返そうと思うとライフタイム注釈を明示的に書かなければいけないことが増えます。
今回はそのように借用 (参照) を取り扱う難しさに対処するための心構えをまとめてみます。
借用 (参照) を取り扱うときの心構え
大事な心構え、それは「出来ないことをやろうとしない」です。
借用の取り扱いに苦しんでいるプログラマがいるとしたら、その難しさは下記の2パターンのどちらに分類できます。
- 原理的に不可能なことをやろうとしているので難しい
- 所有権やライフタイムの概念が複雑なので難しい
ここでいいニュースがあります、2のパターンには対処法があります。それは "慣れ" です。
所有権やライフタイムの概念は文章だけで説明されても真の理解に至らない傾向があります。自分でコードを書いて rust-analyzer に叱られながらリファクタリングを繰り返せば、次第に慣れて難しさが薄れるはずです。
さて、厄介なのは上記のパターン 1, 2 の区別がつかず、原理的に不可能なことにやろうとして時間を無駄にしてしまうことです。
この記事では原理的に不可能なことの事例を解説します。不可能であることを理解してしまえば、不必要に苦しんで時間を無駄にすることもなくなるでしょう。
借用して返す関数を実装してみる
と、その前に、
この記事で例示したコードは全て Rust Playground に置いてあります。
それではやっていきましょう。
いちばんシンプルな例
シンプルな例から始めましょう Vec<String>
の各要素 String
から &str
を借用して返す関数を考えます。
fn borrow_strs_1(strings: &Vec<String>) -> Vec<&str> { let mut vec: Vec<&str> = Vec::new(); for string in strings { let str: &str = string.as_str(); vec.push(str) } vec }
簡単ですね。
大事なのは string.as_str()
の部分です。String
から &str
を借用しています。
上記の例ではライフタイム注釈を省略しました。(省略しても Rust が推論してくれるので)
が、省略せずに書くことも可能です。
fn borrow_strs_1<'a>(strings: &'a Vec<String>) -> Vec<&'a str> { let mut vec: Vec<&str> = Vec::new(); for string in strings { let str: &str = string.as_str(); vec.push(str) } vec }
ライフタイム注釈 'a
がところどころに付いただけで、関数本体の流れは同じですね。
さて、ここから少しずつコードを複雑にしていきましょう。
条件に応じて借用する
先ほどの例では Vec<String>
を扱っていましたが、今度は Vec<Option<String>>
を扱ってみましょう。
Some(string)
からは &str
を借用します。None
からは何も借用できないので無視しましょう。
このようなコードになります。
fn borrow_strs_2(maybe_strings: &Vec<Option<String>>) -> Vec<&str> { let mut vec: Vec<&str> = Vec::new(); for maybe_string in maybe_strings { if let Some(string) = maybe_string { let str: &str = string.as_str(); vec.push(str); } else { // 何もしない } } vec }
さきほどと大きくは変わりませんね。
if let Some(string) = maybe_string { ... }
で 条件分岐して Some(string)
というパターンにマッチするときだけ &str
を借用しています。
条件に応じて代わりのものを返す
先ほどの例では要素が None
のときには単に無視していました。
無視するのではなく代わりの文字列 "None": &str
を返すとどうでしょう。
// None の場合には "None": &str を返す fn borrow_strs_3(maybe_strings: &Vec<Option<String>>) -> Vec<&str> { let mut vec: Vec<&str> = Vec::new(); for maybe_string in maybe_strings { if let Some(string) = maybe_string { let str: &str = string.as_str(); vec.push(str); } else { vec.push("None"); } } vec }
else 節に vec.push("None");
が足されました。
この関数は狙い通りに動きます。
fn main() { let string1: String = "hoge".to_string(); let string2: String = "fuga".to_string(); let string3: String = "piyo".to_string(); let maybe_strings: Vec<Option<String>> = vec![ Some(string1), None, Some(string2), Some(string3), None, ]; println!("{:?}", borrow_strs_3(&maybe_strings)); // => ["hoge", "None", "fuga", "piyo", "None"] }
ちょっと待って!
vec.push("None");
の中の "None"
は &str
型です。
&str
も借用なのでライフタイムがあるはずです。 "None": &str
のライフタイムは何になっているでしょうか?
答えは 'static
です。
文字列リテラルとしてコード中にハードコードされた文字列は &'static str
になります。
'static
ライフタイムとはつまり、コードの実行中ずーっと生き続けるということです。
条件に応じて改変して返す
引数を Vec<String>
に戻します。
String
が長さ1文字のときは大文字に変換して &str
を借用する、とするとどうでしょう。(変な要件だな)
// string が1文字なら uppercase にしてから借用したい fn borrow_strs_4(strings: &Vec<String>) -> Vec<&str> { let mut vec: Vec<&str> = Vec::new(); for string in strings { if string.len() == 1 { let str: &str = string.to_uppercase().as_str(); vec.push(str); } else { let str: &str = string.as_str(); vec.push(str); } } vec }
借用する部分が string.to_uppercase().as_str()
となっています。
大文字 (uppercase) に変換してから借用、要件そのままの実装ですね。
この関数を使うと、結果はこのようになってほしいです。
fn main() { let string1: String = "hoge".to_string(); let string2: String = "a".to_string(); // "a" 1文字だけ! let string3: String = "piyo".to_string(); let strings: Vec<String> = vec![string1, string2, string3]; println!("{:?}", borrow_strs_4(&strings)); // => ["hoge", "A", "piyo"] // と表示されてほしい... }
...が、この関数はコンパイルできません。 下記のようなエラーが出ます。
error[E0515]: cannot return value referencing temporary value | let str: &str = string.to_uppercase().as_str(); | --------------------- temporary value created here ... | vec | ^^^ returns a value referencing data owned by the current function
エラーメッセージで「関数の中で所有されている値を参照して return することはできない」と言われています。
string.to_uppercase()
はこの関数の中で生成されていて、この関数が所有権を持っています。
関数が所有権を持っている値は (値自体を return して所有権を渡さないかぎり) 関数末尾で値がドロップされてしまいます。
string.to_uppercase().as_str()
のように借用して参照を関数の外に返しても、元となる値のライフタイムが関数の中に閉じているために、このような処理は認められません。
コンパイルが通るように修正しよう
さて、この関数を正しくコンパイルできるようにどうにか修正しようとすると...、日が暮れます。 これはいわゆる「原理的に不可能なこと」をやろうとしてしまっています。
なぜ不可能なのか?別の側面から見てみましょう。
一つ前の例で vec.push("None");
して return するのが許されたのは何故だったでしょうか?
そう、文字列リテラルで書かれた "None": &str
はライフタイムが 'static
なので関数の外に持ち出すことが許されたのです。
一方で string.to_uppercase()
のように関数内で生成された (しかもリテラルでもない) 文字列は 'static
にはなれないんですね。
余談ですが、string.to_uppercase()
で生成した値を意図的にメモリリークさせることでライフタイムを 'static
にしてコンパイルを通すことが可能です。
詳しくは下記の記事で詳しく解説しています。
関数内で値を生成せずに済ませる
先ほど「原理的に不可能なこと」と言い切りましたが、実は回避策があります。
関数内で生成した値の借用を返すことは不可能、ということは 値を生成せず に済ませればいいわけです。
下記のように &str
を内包する enum を用意します。
#[derive(Debug)] enum Wrapper<'a>{ Stay(&'a str), Uppercase(&'a str), }
そして関数から Vec<&str>
を返す代わりに Vec<Wrapper>
を返します。
fn borrow_strs_5(strings: &Vec<String>) -> Vec<Wrapper> { let mut vec: Vec<Wrapper> = Vec::new(); for string in strings { if string.len() == 1 { let wrapped: Wrapper = Wrapper::Uppercase(string.as_str()); vec.push(wrapped); } else { let wrapped: Wrapper = Wrapper::Stay(string.as_str()); vec.push(wrapped); } } vec }
if 文の then 節と else 節でそれぞれ Wrapper::Uppercase()
, Wrapper::Stay()
で包んでいるのが見えますね。
この関数は無事にコンパイルできて、実行してみるとこのようになります。
fn main() { let string1: String = "hoge".to_string(); let string2: String = "a".to_string(); // "a" 1文字だけ! let string3: String = "piyo".to_string(); let strings: Vec<String> = vec![string1, string2, string3]; println!("{:?}", borrow_strs_5(&strings)); // => [Stay("hoge"), Uppercase("a"), Stay("piyo")] }
...はい、
"A"
ではなく Uppercase("a")
が印字されちゃってます。なんか全然「大文字に変換」という要件を満たしていませんね。
というわけで次に Wrapper に対して独自の Debug トレイト実装を与えます。
impl std::fmt::Debug for Wrapper<'_> { fn fmt(&self, f: &mut std::fmt::Formatter<'_>) -> std::fmt::Result { match self { Wrapper::Stay(str) => write!(f, "{}", str), Wrapper::Uppercase(str) => write!(f, "{}", str.to_uppercase()), } } }
このように。
すると main 関数の実行結果はこのようになります。
fn main() { let string1: String = "hoge".to_string(); let string2: String = "a".to_string(); let string3: String = "piyo".to_string(); let strings: Vec<String> = vec![string1, string2, string3]; println!("{:?}", borrow_strs_5(&strings)); // => [hoge, A, piyo] }
すばらしい👏
borrow_strs_5()
では関数内で .to_uppercase()
を実行していません。Wrapper
で包むだけで、包んだものをそのまま Vec に詰めて返しています。
ただ包んでいるだけとはいえ、 Wrapper::Stay
には「そのまま印字したい」という思いが Wrapper::Uppercase
には「大文字に変換して印字したい」という思いが込められてるのがお分かりですね?
そして実際に .to_uppercase()
変換を行っているのは Debug#fmt()
の中です。
※ この記事では流れの都合上 Debug#fmt
の中でビジネスロジックに応じた実装を与えましたが、実際のコードでは Display#fmt
に実装を与えたり、 Wrapper
に対して独自のメソッドを実装してビジネスロジックを表現することになるでしょう
結局「原理的に不可能なこと」とは何だったか
今回挙げた例において、原理的に不可能なこととは結局のところ、
- 関数内で所有権をもつ値を生成して、その値の借用を返す
ことでした。
逆に、
- 引数からの借用をそのまま返す
- ライフタイムが
'static
な借用を返す (文字列リテラル&'static str
など) - 引数からの借用をそのまま enum や struct に包んで返す
ことは可能で、しかも比較的簡単だということを見てきました。
上記は原理的に不可能なことを見抜くための一つのパターンに過ぎません。が、把握しておけば不可能なことに取り組んで時間を溶かすことは避けやすくなるはずです。
まとめ
借用 (参照) の取り扱いは繰り返しコードを書くことで慣れ、スキルとして習得できます。
ただし原理的に不可能なことをやろうとして時間を無駄にしないように気をつけてください。
「出来ないことをやろうとしない」これをどうか忘れないで。
私からは以上です。