僕はなんだかんだで勉強が好きだ。
知的好奇心があり、自分なりに考えをめぐらせるのが好きなので、気になる事があれば半ば無意識に本を読んだり手を動かしたりして学んでいる。
そんな性格もあって、これまでは自分が知らないことをひとつでも知って、分からないことを少しでも理解して、専門分野のことならなんでも分かるプロになることを目指してきた。
とくに今の会社で働き始めての1年8ヶ月間はフロントエンド・バックエンド問わずにどんどん学んで周囲に発信していこうと、そう意気込んで働いてきた。
けれど、それは最良の決意ではなかった。
答えだけを示しても喜びは分かち合えない
僕はどちらかというと問題解決型の人間だ。目仕組みを理解して何かを作り、問題解決をする。
抱えてた問題が解決すれば、たしかに相談主は喜ぶ。
けれど、苦労して問題に取り組んで新しい発見や学びの末に解決に至った。そのプロセスを共に喜ぶことはほとんど無かった。
どうやら周囲から見れば、僕は最初から答えを知っていて、それを教えてくれる人に見えるようだ。
もちろん実際は違う。
目の前の問題について調べてヒアリングして、問題を把握するのにも時間がかかる。解決に至るまでには多くの実験と試行錯誤をくりかえさなければいけない。
少しずつ状況を整理して、正しい判断を邪魔するようなノイズは少しずつ取り除いていく。
そうやってやっと、やっとのこと答えにたどり着く。
報告する。
『なんだそんなことか』と相手は納得する。
たいていの場合はそれで終わる。
......
99%の人は『どうやってそこに辿り着いたの?』なんて聞いてはこない。
結局、相手に伝えられるのは「原因」と、せいぜい「対処法」くらいだ。
たぶん相手は再発防止策を講じることも出来なければ、似たような問題を解決できるようにもならないんじゃないかと思う。
理由は単純、相手は問題解決に辿り着くまでの道のりに興味を示してはいないから。
それは本当に残念だけれど。
違和感とショック
なぜこんな事を考え出したのか、
Web制作をするなかでデバッグをすることがあるが、僕ばかりデバッグのスキルが上達しているように感じたからだ。
もともと趣味でも実用でもプログラムを書いてきたし、そうするとデバッグ経験は当たり前に積み重なっていく。
なんだか上手く動かないんですがちょっと見てもらえませんか、と、デバッグを依頼されることもある。
業務に関わる範囲で言えばバグなんかに構って生産スピードを落としてる場合じゃあないし、快く引き受けていたんだけれど、先日どうにも違和感を感じた。
僕がデバッグするときに最初に試す初歩的なツールやノウハウ(例えばconsole.log()で変数の中身を表示させてチェックする、みたいな)、それすら知らない人が多いように思う。
知らないから基本的なチェックも出来ないし、出来ないからやってない。
そんな段階で僕のところに持って来られて、僕は最終的な「原因」だけをフィードバックしていたわけだ。
相手が新人であれ、フツーのデザイナーであれ、この状況ってあまりにもひどくない?
それに気づいてしまい、ショックを受けた。
道は知らないが地図は読める
僕は確かに人よりもデバッグできる自負はあるけど...。
結局のところ、 僕は問題解決に至る道筋を最初から知っている訳ではない。
目的地への道筋が分からないなりに、とりあえず歩き出すだけ。スタート地点は他の人と同じ場所のはずだ。
まずはなんとなく歩き出し、分かれ道があれば地図を読む、雲行きが変わればその場その場で考える。
怪しい物事は調べてみて、分かる範囲で理解しようと努める。そしてまた考える。
ときにはわざと間違いだと思う方の道を選び、その先の行き止まりを見届けてから、「やっぱりこっちの道じゃなかった」と引き返すことだってある。
間違いを確かめたいと思うからだ。
それどころか、そうと気づかずゴールとは反対の方向に歩き出してしまい、途中で気づいてスタートまで戻ることだって少なくない。
全く持って直線距離でも最短距離でもない歩き方だ。
それでも最終的には答えにたどり着けることが多い。
ゴールに近づくほど、ゴールの方向を推測するのは簡単になるからだ。
僕とその他の人の違いってなんだろう? スタート地点は同じ。
例えば、地図の存在を知っているか、知ってたとして読めるか。そんな違いなのかなと思ったりする。
あとは、まぁ、最短距離でたどり着く道しか許せない。道に迷うことを受け入れられない性格の人も居るかも知れない。
先を行くのは辞めて、ともに歩く
この状況を当たり前に続けていていいはずがない、何かを変える必要があるのは明確だった。
どうすればいいかは分からなかったけれど、かねてより「新人教育」みたいなことで悩むことが多かったので、コーチングについて軽く調べてみた。
曰く、コーチングの基本は質問と拝聴と共感だそうだ。
コーチングにおける質問は、自分が情報を得るための詰問ではなく、状況の整理や理解を促す目的で相手の為にするものである
ハッとした。
もうなんでも分かるプロを目指すのは辞めよう。
答えを出すことはしないけれど、相手が答えにたどり着けるように導くようなやり方、言ってみればなんでも分からないプロになろう、そう思った。
なにも分からないプロである自分
この文章を書いて、人に伝える術や人に教える術を何も知らない自分の姿が見えてきた。
勉強するべきは他でもない自分自身で、技術的なことだけを突き詰めていても仕方ない。
まだ何もかもを学び始めたばかりです、どうにか歩いて行こうと思います。
私からは以上です。